5月、早すぎる夏のような暑さを心配しながらも、気持ちの良い晴天で迎えられた娘3歳の七五三の日。
1歳を過ぎてから久々の大きなお祝い事というのと、日常的にお客さまの七五三写真を目にしていたので、我が子のその日が来るのをとても楽しみにしていました。
衣装集めも早めに始め、SNSでも参考になりそうな写真をたくさん検索して、写真館の娘の晴れ姿、「いい写真を残したい!」という思いも強くなっていました。
カメラマンは父親だし、これまでもモデルとして娘には何度も撮影に協力してもらっていたので、きっと難なく笑顔の可愛い写真が撮れるよね、と考えていました。
しかし、結論から言うと、期待通りにはいかず!
例に漏れず、我が子も3歳七五三、となったのでした。
七五三支度は、ばぁばのお家で。
ヘアや着付けが始まると本当にいい子にしてくれ、あっという間にお支度が完了。
と思ったら、次の瞬間「これやだ、取る」と髪飾りを剥ぎとり始め、急にイヤイヤモードへ。
せっかく整った髪が凄いスピードで崩れはじめ、こちらのストップの声も届かず。
髪型の崩壊とともに、私の“我が子の七五三”への憧れもどんどん崩壊していく気分になりました。
髪は直してもらいましたが、本人はこんなのやりたくない、といった様子で不満げ。
言うことを素直に聞いてくれないので私の口調も高圧的になり、娘のやる気はますます低下。
終いには、眠いを連発し、床に突っ伏しました。
このままいくと、着物まで脱ぎ出しそうな雰囲気だったので慌てて神社に向かうことに。 しかし神社に到着したはいいものの、予約したご祈祷までまだ1時間以上も時間があり、娘の気持ちを繋ぎ止めておけるか不安になりました。
足袋と草履は家を出る時から断固拒否を貫いており、思い描いていたように事が運ばないことに対して、私はどんどん残念な気持ちに。
到着してすぐ写真を撮ったのですが、意気込んでいた七五三の記念写真には、ひどい笑顔の私が残りました。
子どもの記念日やその写真に対しては、思い通りにいかなくても、それはそれで良い思い出。全部ひっくるめて愛おしい記録、という考えを持っていましたし、そんな風に受け止められるだろうと思っていました。
ですがいざ当事者になると、準備を頑張ってきた、とても楽しみにしてきた、という気持ちもあり、理想と違う現実に寛大な気持ちになれない自分がいました。
写真の出来栄えに囚われてしまい、この日の本質をすっかり忘れてしまった我が子の七五三。
主役に何度も怖い顔を向けてしまったことを申し訳なく思います。
(カメラマンである旦那は、当日の家族の一番の仕事は、主役が楽しくなるようできるだけ努めること、だと言っています。真逆の行動しかしていなかった私…)
七五三から2ヶ月。
最近は、形として残る写真も大事だけれど、もっと見るべきものがあるなぁと、子どもとの時間や思い出に対するそもそもの考え方が変わってきました。
写真がパーフェクトだったらそれは素晴らしいことだけれど、その時子どもや家族が望んでいることはなんだろう?と思うことや、感情の共有が全くできなかったのであれば 思い出としてはちょっと惜しいものになってしまうのかもしれない、と思うようになりました。
その点を絶賛勉強中です!次の記念日にはもっと気持ちの良い時間を送れるよう親としてレベルアップを遂げていたいと思います。
神社に到着し集合写真を撮った時はマイナスの感情に満ちていた私ですが、ご祈祷までの時間を潰すため神社隣の公園でブランコに乗ったり、ジャングルジムに登ったり、娘と遊ぶうちに、 もう着物も髪型も崩れたっていいやー!と気持ちが吹っ切れ、それ以降は楽しいお詣りの時間を過ごすことができました。
神社の隣が公園だったことに、ほんっとうに救われました…
我が家の3歳七五三は、スタジオ前撮り(と桐生天満宮)と神社でのロケーション(カメラマンの実家がある愛知県)の二回でした。
スタジオの着物はフリマアプリで調達、ロケーションの着物は私が七五三で着た物を使用しました。スタジオの着物では、被布ではなく結び帯にしました。
髪飾りはハンドメイドサイトで購入しました。
早生まれということで、数えの2歳で七五三をやるか、3歳になってからやるか迷いました。
結局スケジュールの兼ね合いもあり、スタジオ時-2歳、ロケーション時-3歳、となりました。
(写真を見比べるとやっぱり2歳はまだ幼いですね。)
実際にやってみた感想として、出来れば3歳を待ってからの方が、より大人とのコミュニケーションが取れるようになっていて少し楽なのかな〜という印象でした。
私の失敗談が、少しでもどなたかのお役に立てば幸いです。
他にも着付師さんに伺う七五三のポイントをこちらの記事「健やかな成長を祝う日のこと-前編」、
「健やかな成長を祝う日のこと-後編」で紹介しています。
よろしければご覧ください。